新・魚のサカナ(鯛のタイ)図鑑(引越中)

いわゆる「鯛のタイ」の写真集

342: エツ

ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科エツ属
学名:Coilia nasus Temminck and Schlegel
英名:Estuarine tapertail anchovy [原], Japanese tapertail anchovy, Japanese grenadier anchovy

これまでに紹介してきたニシン目の「魚のサカナ」の形状にもかなりのバリエーションがあったが、ニシン目カタクチイワシ科に属しながら魚体の外形はとてもカタクチイワシの仲間には見えない(下の写真参照/ただし上下の顎の様子だけはカタクチイワシに近い印象も)エツの「魚のサカナ」は、個人的にどうしても見てみたかったものの一つ。

さて今回紹介するのは、福岡県柳川市有明海)産の全長約29cmの雄個体から摘出した左右の標本。針状の中烏口骨付き。写真右は、写真左の右側の標本の拡大図。「斉魚/鱭(魚扁に齊)/刃形魚/比魚/鰽(魚偏に曹)/鮆(「紫」の糸の部分が魚)のエツ」は、全体的に横長(=『体高』が低い)で、その全形も期待に背くことのない文字通り独特なもの。肩甲骨の先端下部が突出し、その先端が上方を向くことは他のニシン目の「魚のサカナ」でもしばしば観察された特徴だが、その前縁が明瞭な鋸歯状になっているのは初登場。肩甲骨孔は丸く、大きめ。また烏口骨の上方突起(『背鰭』)に相当する部位は確認できず、後方の『嘴』部に相当するところも楕円平面状に広がるのみで立体感はほとんどない。肩甲骨と烏口骨が接し、また中烏口骨の根元に相当する辺りの上縁は凹む。「魚のサカナ」全体では、プロペラ付きのカエデの種子にも、デ◯ズニーキャラクターの「空飛ぶ象」のようにも見える。

肩甲骨/中烏口骨を中心に拡大して骨の両側から観察。上の写真では見にくかった、肩甲骨孔のすぐ後方にある小孔を確認することができる(赤矢印)。

エツは国内では『有明海固有種』。中国大陸にも同属の仲間が生息しているが、これと国内種が同種か否かは研究者によって意見が分かれているとのこと。また中国ではこの「エツの仲間」は昔から漢方薬の『薬』として広く使われている。そのため、先の「鯛の九つ道具」のエントリーでも紹介した江戸時代に出版されたの各種『本草書』には、国内では「有明海限定」の魚であるはずの「エツ」の項がしっかり設けられていることも多い(例えば『本朝食鑑』/リンク先の左にある「目次・巻号」> [8][38] > 上のページ数「35/38」に『鱭』。本文中には「小骨が多い」との記述も確認できる)。ちなみに柳川地方には「弘法大使が筑後川にヨシの葉を浮かべたら、それがたちまちエツに替わった」という伝説が残っているそうで、この地方にとってエツがどれだけ身近で重要な魚であったかを今に伝えている。



エツ属の魚は国内にはエツ1種のみの分布で、外形も独特なので同定は容易。念のため「日本産魚類検索」のカタクチイワシ科の同定の『鍵』を辿り、1)尾柄部は細長く、臀鰭と尾鰭は連続している(ように見える/写真中段左)、2)尾鰭先端は尖形(写真中段左)、3)胸鰭に長い数条の遊離軟条がある(写真中段右)、更には『新訂原色魚類大圖鑑』に記載された、4)前上顎骨後端は長く伸び、鰓蓋まで達する(写真上段右)、5)下顎は上顎に覆われる(写真上段左/写真下段右)、6)鰓耙は細長く密生、7)背鰭は躯幹の前方にある(写真下段左)、8)腹鰭は背鰭の直下に位置(写真下段左)、9)臀鰭基底は極めて長いなどの形質を確認してエツであると判断。

背中側が金色に輝くのは実は婚姻色で、産卵/放精のために川を上り始めてから出てくるとのこと。写真は鱗を剥がした後に撮影。

エツは、産卵期以外は有明海奥部の筑後川などの河口付近に分布しており、5月から8月に淡水域まで遡上して産卵する(もっと正確には、産卵が確認されているのは筑後川六角川のみとのこと)が、周辺市町ではこの時期に合わせてエツ漁が解禁される(筑後川では5月1日から7月20日まで。他の川の漁期は不明)。ただし有明海に生息する他の『特産』種同様、エツも漁獲量が急激に減っており、環境省が作成した汽水・淡水魚類レッドデータブックの2007年改訂版では絶滅危惧II類(VU)として掲載され、また福岡県では絶滅危惧II類(VU)、熊本県では準絶滅危惧(NT)、長崎県では絶滅危惧IB類(EN)にそれぞれ指定されている(日本のレッドデータ検索システム「エツ」を参照)。またムツゴロウの稿でも紹介した資料(魚類学雑誌 2011年11月 シリーズ・Series 日本の希少魚類の現状と課題「有明海の魚類の現状と保全」/こちらからPDFがダウンロード可能)によると、1)上記した筑後川内漁期が、親魚の遡上と産卵を保護することになっていない、2)海域においては遡上前の成熟魚を保護するための漁期や漁獲サイズに対する規制がなく、河口沖で漁獲された当歳魚が大量に水揚げされているなどの問題があるとのこと。

2012年7月に福岡県柳川市の「夜明茶屋」から取り寄せたもの(当日は500円/匹)。上記した通り、固い小骨が体中を走っている魚なので、調理前にはハモのように念入りに骨切りしておくことが基本中の基本。骨切りするまではカチカチだった体が、上手く骨切りできると「くたん」とした感じになる。今回は刺身(ただし汽水域に入る魚なので寄生虫の恐れはゼロではない。生食する場合は自己責任で)、塩焼き、煮付けに。薄切りの刺身を口にすると、まず脂を強く感じ、その後上品な旨味がほんのりと立ち上ってくる。なかなか美味い。塩焼きにすると、脂の甘み、身の旨味とも立ってより美味さを感じる。煮付けにすると、身離れも良く、食感/旨味とも良い。これも美味い。

身は薄く、銀色に輝くことから『短刀』などになぞらえられることも。